2010/12/13(月)2010-12-13

2010/12/13 22:12 祈りkameniwa
一流か二流か三流か、というのは、その人間の持つ資産や知識、ましてや血筋や人種で決まるものではない。

それは、生き方、心構え、魂そのもののあり方の事だ。清廉な心で、正しく道を歩む者。その強い心で、迷える人を導く者。そういう人間こそが、一流と呼ぶにふさわしい人間。
問題は、その正しさや強さは誰が保障するのか?というところで、恐らくそれが「主」とか呼ばれる事のある存在の、役割なんだろうなと考える。

つまり、「この世に正義がなされなければならない」、「強き者は弱き者を助け、導かねばならない」という価値観は、一神教に於いてしか成り立たない価値観なのではなかろうか。

逆に、そういう価値観無しに、合議によって死刑すら試行する日本人が、得体の知れない不気味な種族に見えるのも、宜なるかな。