2010/12/06(月)2010-12-06
2010/12/06 23:18
2010/11/21(日)2010-11-21
2010/11/22 00:10
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弱者は強者を守らねばならない。弱者・強者の別は、評価軸によって異なり、ある場面では強者であった彼は、別の場面では弱者となる。ならば当然、彼は弱者として強者に守られる。これは当然の理であるが、できるなら、弱者として助けられた彼は、強者に対し感謝を捧げ、有り難きものとして敬うべきだ。これが道徳であり、宗教であると私は思う。
2010/10/07(木)主、神、仏、御霊
2011/02/09 22:54
僕にとっての主とは、無限であり有限でありそのどちらでもなく、あらゆる物を内包しあらゆる物に内在し、故にどこにも存在しない、全知全能であるが故に無知無能に等しい、そういう存在だが、
僕にとっての仏とは、無限そのものとほぼ等しい。それはあらゆる赦しであり、慈悲であるもの。故に何かを罰する力は持たぬ。そもそも罪を赦す存在なのだから、罰を与える、という概念を持たぬ。持つ必要がない。
罪と罰を司るのは神仏の役目だ。いや、こうして整理すると、神仏、ではなく、神々、と言った方が良いのだろうな。誉めるも叱るも神々の御業、とでも言おうか。
主とは空であり、仏とは無限であり、神々とは上なるものである。
で、あとは、私と共に歩む物として御霊がある。と。
少し前までは御霊のことは天使と呼んでたけども、天使と呼ぶと天の使い=主の使い云々、って話になってややこしいし、僕の言っていた天使とは、祖霊、精霊、妖精とでも呼ぶべき物なので、それら全てをひっくるめて御霊と呼ぶことにしよう。みたまと読むべきかごりょうと読むべきか、いっそおんれいとでも読むべきかは考え中。なんか、上なるのもとは別に、人と親しく、人よりもちょっぴり聖なるもののことを呼ぶための、ぴったりな呼び方があるんじゃないかと思うんだがな。
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人よりは聖なるものであり、しかし上なるものでなく、人に寄り添って立ち、人と共に歩むもの。
祖霊は確実にここに入るんだが、他にも座敷童とか妖の類もここに入るんだよな。
あー、聖なるもの、と言うよりも、霊なるもの、と言った方が良いのだろうか。河の向こう側に近いものたち、というのか。
2010/09/29(水)2010-09-29
2010/09/29 23:30
科学的であることと主の意思に沿うことは全く矛盾しない、というか、科学の正当性を保障するには主の存在が必要じゃないか。("主の意思"とか"主の存在"って表現も正確ではないのだけど。)
2010/06/16(水)この写真がはやぶさの辞世の句だ、というのはなにか違う気がする。
2011/02/09 22:58
この写真がはやぶさの辞世の句だ、というのはなにか違う気がする。
はやぶさは科学技術のかたまりだ。技術が死ななければ、はやぶさは死なない。技術の死とは断絶である。継承されぬ技術は死ぬ。彼女を作り上げた技術が断絶し、歴史にしか名を残さぬ存在になったときにこそ、これは辞世の句になる。
彼女はまだ生きている。これから死に向かうかどうかは、我々が決める。
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輝く光に包まれて、満面の笑みを浮かべ、ただいま、って言いながら大気に溶けてゆくはやぶさを幻視した。
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はてブコメにもあったけど、
ボイジャーには「ありがとう、元気でね」、
はやぶさには「おつかれさま、おかえりなさい」、
という感じかな。