2011/10/31(月)2011-10-31
2011/10/31 22:45
2011/08/25(木)2011-08-25
2011/08/25 23:48
否定しなけりゃ得られないものも
ある
2011/08/25(木)2011-08-25
2011/08/25 23:41
私にはできない
2011/08/05(金)2011-08-05
2011/08/06 03:07
誰にも等しく生きる力があるわけではない。
誰にも等しく与えられた、生きる権利を守るためには、
強者が弱者を守らなければならない。
強者には使命を、弱者には感謝を教えるため、
主は、等しい力を与えなかった。
2010/12/13(月)2010-12-13
2010/12/13 22:12
それは、生き方、心構え、魂そのもののあり方の事だ。清廉な心で、正しく道を歩む者。その強い心で、迷える人を導く者。そういう人間こそが、一流と呼ぶにふさわしい人間。
問題は、その正しさや強さは誰が保障するのか?というところで、恐らくそれが「主」とか呼ばれる事のある存在の、役割なんだろうなと考える。
つまり、「この世に正義がなされなければならない」、「強き者は弱き者を助け、導かねばならない」という価値観は、一神教に於いてしか成り立たない価値観なのではなかろうか。
逆に、そういう価値観無しに、合議によって死刑すら試行する日本人が、得体の知れない不気味な種族に見えるのも、宜なるかな。