2011/10/31(月)2011-10-31

2011/10/31 22:45 祈りkameniwa
私は、晴れに田を耕し雨に草鞋を編み、朝日に夕日に手を合わせて拝む農夫の背中に、神を見る。神が実在するかどうかは些事。信仰の有り様こそが大事。そこに信仰があることそのものが、神に等しい。

2011/08/05(金)2011-08-05

2011/08/06 03:07 祈りkameniwa
誰にも等しく生きる権利はあるが、
誰にも等しく生きる力があるわけではない。

誰にも等しく与えられた、生きる権利を守るためには、
強者が弱者を守らなければならない。

強者には使命を、弱者には感謝を教えるため、
主は、等しい力を与えなかった。

2010/12/13(月)2010-12-13

2010/12/13 22:12 祈りkameniwa
一流か二流か三流か、というのは、その人間の持つ資産や知識、ましてや血筋や人種で決まるものではない。

それは、生き方、心構え、魂そのもののあり方の事だ。清廉な心で、正しく道を歩む者。その強い心で、迷える人を導く者。そういう人間こそが、一流と呼ぶにふさわしい人間。
問題は、その正しさや強さは誰が保障するのか?というところで、恐らくそれが「主」とか呼ばれる事のある存在の、役割なんだろうなと考える。

つまり、「この世に正義がなされなければならない」、「強き者は弱き者を助け、導かねばならない」という価値観は、一神教に於いてしか成り立たない価値観なのではなかろうか。

逆に、そういう価値観無しに、合議によって死刑すら試行する日本人が、得体の知れない不気味な種族に見えるのも、宜なるかな。