2010/12/13(月)2010-12-13

2010/12/13 22:12 祈りkameniwa
一流か二流か三流か、というのは、その人間の持つ資産や知識、ましてや血筋や人種で決まるものではない。

それは、生き方、心構え、魂そのもののあり方の事だ。清廉な心で、正しく道を歩む者。その強い心で、迷える人を導く者。そういう人間こそが、一流と呼ぶにふさわしい人間。
問題は、その正しさや強さは誰が保障するのか?というところで、恐らくそれが「主」とか呼ばれる事のある存在の、役割なんだろうなと考える。

つまり、「この世に正義がなされなければならない」、「強き者は弱き者を助け、導かねばならない」という価値観は、一神教に於いてしか成り立たない価値観なのではなかろうか。

逆に、そういう価値観無しに、合議によって死刑すら試行する日本人が、得体の知れない不気味な種族に見えるのも、宜なるかな。

2010/12/06(月)2010-12-06

2010/12/06 23:19 雑記kameniwa
といいつつも「リア充死ね」と叫ぶテトさんが愛しくてたまらないのだ。「ただしイケメンに限る」ならぬ、「可愛いは正義」メソッド。

2010/12/06(月)2010-12-06

2010/12/06 23:18 祈りkameniwa
「リア充死ね」って言葉を吐くのは、心が卑しくなるだけで何の得もないと思うよ。大成している宗教諸派のほとんどが、妬み嫉みを抱くことを禁じてると思うんだけど、何故そうしているのか、その意味を考えた方が良いよ。

2010/11/21(日)2010-11-21

2010/11/22 00:10 祈りkameniwa
数学ができる人間は当然のように、数学ができない人間を数学の力によって守るべきである。
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弱者は強者を守らねばならない。弱者・強者の別は、評価軸によって異なり、ある場面では強者であった彼は、別の場面では弱者となる。ならば当然、彼は弱者として強者に守られる。これは当然の理であるが、できるなら、弱者として助けられた彼は、強者に対し感謝を捧げ、有り難きものとして敬うべきだ。これが道徳であり、宗教であると私は思う。

2010/11/20(土)2010-11-20

2010/11/20 21:46 生きる意味kameniwa
私は絵を見るのが好きだ。
ネット上に散らばる自分好みの絵を描く人達を探し、彼らが公開してくれている絵をHDDに保存し、ニヤニヤと眺める。そういうのが好きだ。
いい絵を描く事に憧れる。私も描けるようになってみたいとも思う。だが、この10年近く、絵を描いた事はない。私が好きな絵を描く人は、大抵、息をするように四六時中絵を描いているらしい。描きたいというよりも、それが自然で、それ以外を知らない、という方が近いらしい。
私には到底真似できぬ。私はそういう風には生まれていないらしい。
絵を描く事を諦めるかどうかは分からない。だが憧れているそれらほどには、いい絵を描くことはできないだろう。

ならば私にできることは何か。私が、息をするようにしている事は何か。そう考えて思いつくことのひとつは、悩む事だ。
私はいつも悩んでいる。考えている。本当の事とは何かについて悩み続けている。
この世の真実は何か。あの世があるならそれも含めて、ありとあらゆる物事に、本当のことはあるのか。
正しいかどうか、ではない。善悪の話なら答えは出る。私が欲しいのはそれではない。
人が定めることではなく、神が定めるものではなく、ありとあらゆる物事とは関係なく、ありとあらゆる物事の根幹であるもの。私が欲しいのはそれだ。
手に入れたいのではない。ただ、知りたい。それがあるのかどうか。いや、既にあるはずだ。それがそういうものならば、私が知らないだけで、それは当たり前のようにどこにでもあるはずだ。私はそれを知りたい。

いつかわかるときが来るだろうか。求めて得られるものだろうか。わからない。だが、やめる事はできない。やめるとか求めるとかの話ではなく、それは私の一部だから。私が死ぬその瞬間まで、私は考え続けるだろう。これは一体何なのかと。